ファンからの寄稿文
「40周年に思う、佐野元春のこと」

佐野元春氏の音楽と私

銀野塔

 こんにちは。銀野塔です。
佐野元春氏が今年デビュー40周年を迎えられました。おめでとうございます。
私自身のファン歴は37年くらいということになります。ざっくりとですが私にとっての佐野元春氏の音楽について綴ってみたいと思います。以下、私にとっては「元春」が一番しっくりくる呼び名なので僭越ながら「元春」と呼ばせていただきます。


 元春の音楽に出会った1980年代前半、私は高校生だった。まずあるときに大瀧詠一の「A LONG V・A・C・A・T・I・O・N」に出会い「こういう音楽があるんだ!」と衝撃を受け、そこから「NIAGARA TRIANGLE VOL. 2」を聴いて佐野元春に出会いそしてまた「こういう音楽があるんだ!」と衝撃を受けたわけである。私くらいの年代の元春ファンにはわりとよくあるパターンではないかと思う。

 それまで聴いてきた――といっても、その頃の私はまだ自分で主体的に聴く音楽というのがそれほど確立していなかった――歌謡曲やポップスやニューミュージックには感じたことのなかった「今まで聴いたことのない」感じ、ゾクゾクするような、しびれるような興奮を感じた。声、歌い方、歌詞、旋律、歌詞の曲への乗せ方、演奏、すべてが魅力的だった。虜になった。友だちにも広めたりした。高校時代のクラスメートとちょっとしたパーティーをやったとき(それはおしゃれなパーティーじゃなくてごく素朴なものだったが)、BGMとして当時持っていた私の赤いラジカセで「NO DAMAGE」を流していたことなど思い出す。

 元春がニューヨークに渡ったときはびっくりしたけれど、どんな音楽を今度は届けてくれるんだろう、とわくわくした。そしてアルバム「VISITORS」。これは当時、日本ではまだまったくなじみがなかったHIP HOPやラップの手法を大胆に採り入れていたため、よく「ファンのあいだでも賛否が分かれた」的に語られるアルバムである。

 私も「あ、これまでと違った感じだ」というのはもちろん感じた。でも私の場合なぜか「否」の感情はまったくなくて、その新しさをすんなりと受け容れていた。むしろこのアルバムがやったことがどれだけ新しいことだったのかを後になって再認識した感じである。

 初めて行ったライヴは、大学生の時、Café Bohemia Meetingだった。福岡サンパレスの三階席。元春に限らず、私にとってコンサートやライヴに行くこと自体が初めての体験だった。そして「元春のライヴって凄い!」とここでまた圧倒されることになる。このときのセットリストをその後しばらくは宙で思い出せたくらいだ。以降、どうしても都合がつかなかったナポレオンフィッシュツアーを除いて、福岡での元春のライヴは多分すべて行っているのではないかと思う。東京のライヴにも少し行ったことがある。

 レミニセンス・バンプという現象がある。ざっくり云えば人は人生を振り返ったとき、いわゆる青春時代のことを一番よく思い出すというものだ。青春時代は、自我が確立して、いろいろなことを初めて体験してゆく新鮮さに満ちた時期だからだろう。私にとって80年代が云ってみればこのレミニセンス・バンプの時期に当たる。中学生の途中から社会人一年目までだ。私はこの時期の前半に元春の音楽を知り、そしてそれからの日々をともに歩むことになる。1989年のアルバム「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」は、私にとってそんな80年代の終わりを告げるものでもあり、また社会に一歩踏み出す中で聴いたものでもある。そういう不安と昂揚感の入り交じった感じにこのアルバムはとてもフィットした。

 そうやっていわゆる多感な時期にどっぷりとはまって聴いてきたからだろう、他にも好きな音楽はあるけれども、元春の音楽が私にとって一番「血となり肉となり骨となっている」感覚がある。

 だが何も私は、元春の音楽をノスタルジーだけで語りたいわけではない。

 元春の音楽のすごいところは、若い頃に知った曲を今聴いても、その曲が今の自分にも新たに響くものとして立ち上がってくるところだ。たとえば「ダウンタウン・ボーイ」の「すべてをスタートラインにもどしてギヤを入れ直してる君」とか「明日からのことも分からないまま 知りたくないまま But it's alright」といったフレーズは、知った当時よりむしろ今の方がリアルに響いているかもしれない。

 そしてまた、年月が経つにつれて元春の曲が新たな深みを獲得していったことにより、新たな曲、新たなアルバムが出るたびにそれが私の心に寄り添い続けたのも確かである。特にここ最近数枚のアルバムの曲の深度はすごいと思う。円熟味と云えばそうなのだが、単にまるくなったとか渋くなったとかではない、エッジの効いた深度とでも云うべきもの。


鳥のような翼はないけど
翔び方は誰よりもわかってる
光の小旅行 続いてゆく
いったい自分は何者なんだろう(「禅ビート」より)

明日になったら
心のシャツを着替えて
確かな場所まで
手を取ってゆくよ(「マニジュ」より)


 元春の魅力は、変化と不変、そのバランスにあると思う。

 アルバム「VISITORS」で見せた変化の話はすでに触れたが、元春は常に、新しい音楽スタイルを追求し、自らの音楽を更新し続けてきた。音楽を愛し、さまざまな音楽を聴き、新しいスタイルに臆せず挑戦する、そうやって絶え間なく変化し続けてきたのが元春だ。おそらく元春は、一曲ごとに、アルバム一枚ごとに、そのときどきの新鮮な初期衝動をおぼえながら作っているのではないだろうか。だから、エッジを失うことなく深度を増してゆけるのだと思う。

 そうやって絶え間なく変化しながら、でも元春は一貫して佐野元春らしくあり続けてきた。どんなスタイルの曲でも、佐野元春にしかできないものとして届けてくれた。その信頼性が私のファン心理の芯として存在している。

 私は正直なところ、昔も今も音楽に対するアンテナがそれほどとんがっている方ではないし、またそれほど広く音楽を聴く方ではない。けれど、元春のファンになって、元春が本当にいろいろな音楽を届けてくれたから、私の音楽ライフはぐっと濃密なものになったと思う。多感な時期に元春の音楽と出会えたこと、それに感応することができた自分であったこと、そしてそれからずっとファンでい続けさせてくれたこと、すべてに感謝したい。

 これから先も、元春が、どこへ連れて行ってくれるのか、どんな景色を見せてくれるのか、それが私の景色とどう響き合うのか、楽しみにしている。


世界は少しずつ形を変えてゆく
俺達は流れ星 これからどこへ行こう(「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」より)


<追記>
元春のスポークン・ワーズの作品もとても好きである。私もアマチュアとして詩歌の創作をしているのだが、元春の歌詞、そしてスポークン・ワーズの作品は私の頭の中の創作ネットワークとでもいうべきものをとても活性化してくれる。そのことにもずっと感謝している。

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