ファンからの寄稿文
「40周年に思う、佐野元春のこと」

夜明け前のメランコリーと街の愛・「マンハッタンブリッヂにたたずんで」

藤谷蓮次郎

 私が佐野元春に出会ったのは、『NIAGRA TRIANGLE Vol.2』というLPレコードだ。烏滸がましいが、私の人生を一つの物語に喩えた場合、そのLPレコードは、佐野元春、杉真理、大瀧詠一という、それぞれ大きなシークエンスとなる存在との関わりの端緒だった。やがて出会う伊藤銀次や山下達郎も含めて、彼らは幾つもの重要な出来事を、私の人生にもたらしてくれた。その全ては、テレビで流れていたCM曲だった「A面で恋をして」を聴きたさに買った『NIAGRA TRIANGLE Vol.2』というピンク色のジャケットのレコードから始まったのだ。

 ここで耳にした佐野元春の圧倒的だったこと。「彼女はデリケート」から始まる彼のソロ四曲(※1)は、それまで聴いたことのない日本語、圧倒的にスピーディーでパワフルな「見知らぬ国の言葉のような日本語」だった。耳から入って頭に届く言葉というよりも、レコード・プレーヤーの小さなスピーカーから、成長期の私の体全体にぶつかってくるような音。この体験は、「ビート」という言葉とともに、私の生きる風景を一変させた。その強烈さは、後年、ボブ・マーレーの「トレンチタウン・ロック」の「音楽ってイカしてる/撃たれても痛くねえ」という歌詞を聴いた時に、この体験を私が真っ先に思い出すほどだった。

 ただ、約四十年が経過した今、あの時の体験を少し落ち着いて反芻してみると、私にとっての日本語ロックンロールの理想型となった「彼女はデリケート」とほぼ同等に、佐野元春という存在を感じながら日々生きることを決定づけた曲があることに、このごろ改めて気付いた(※2)。

「マンハッタンブリッヂにたたずんで」。

 佐野元春と杉真理の出会いを彩った佳曲「Bye Bye C-Boy」を挟んで、印象的なリズムとコードの反復で導かれるメランコリックな世界。


街に暮らしてると
毎日少しずつ
シニカルになって夜を見つめてる君
ストレートに誰かに愛を告げて
その愛がまた別の愛を生む世界

 具体的な情景表現はないのだが、抑鬱に潰れかける心を冷静に支えようとする人の姿が浮かぶ。「マンハッタンブリッヂ」という固有名詞がタイトルになっている。だが、一曲全体が示すのは、世界中のどこでもいい都市、すなわち抽象化された「都市」に対し、そこに住む誰でもよい抽象化された「都市住民」の思いだ。

 抽象化された「都市」とは、佐野の敬愛するジャック・ケルアックの最初期の作品の二分法に倣えば、「TOWN」に対する「CITY」のこと。日本語訳した場合、前者は「町」、後者は「都市」となるのが一般的だ。規模の大きいのが後者「CITY=都市」。より小さいのが「TOWN=町」。通常は、そう考える。だがしかし、そこには大きな理念的分岐が存在している。つまり、「TOWN」は大きくなってしまえば「CITY」となるが、「CITY」はどこまでも拡張することが許されるという点だ。

 「マンハッタンブリッヂにたたずんで」という曲が、発表当時から今に至るまで斬新さを失わない理由。その本質は、ここに「都市」と「都市住民」の官能的なまでのメランコリックな関係性が描かれたためだと、私は考える。「都市住民」たちの「都市」への期待や失望が入りまじった心の動きがこの曲を息づかせるのだ。

 アメリカの社会学者アーヴィング・ゴッフマンの名付けた「儀礼的無関心」という「都市住民」の一般的な態度がある。それは、決してどこかから強いられているわけでもないが、毎日数え切れない多くの人と関わり、すれ違いながら生きている「都市住民」たちが、不要な関係性を生み出さないようにするためのマナーである。例えば、「電車で偶然向かい合わせになった人を過剰に見つめない」とか、「レジの販売員に必要以上に話し掛けない」とか、「あまり親しくない知り合いと目があったら少し会釈をして視線を外す」というような、礼儀に叶った無関心。これは、いくらでも人を惹きつけ、吐き出し、見知らぬ人同士が関わり合っては離れていくことを可能とした「都市」がその住民たちに強いた人間関係の変容だ。近代社会とは、このような「街=CITY=都市」を、世界中に作りあげた時代だと言える。

 世界的にも典型的かつユニークでもある「都市」である東京で生まれ、人生の多くをそこで生きて来た佐野元春。「街に暮らす/君」が「シニカル」になっていく様を見つめながら、「ストレートに誰かに愛を告げて/その愛がまた別の愛を生む世界」という「都市」のマナーに外れた空想(「クレイジー」と歌われるのはそのためだ)を、彼は歌う。佐野はあくまでそれを「君」という人物に寄せて描く。「純製・都会人」として生まれ、生きて来た彼が、「都市」へ暮らす数限りない人たちに共通する心を取り込もうとした故に、第三者的な視線が設定されたのだ(※3)。

 しかし私は、いかに「クレイジー」であろうと、この一曲がとても好きだ。このメランコリックな一曲を聴くことが、私にとって何よりの慰めになる日が今までたくさんあったし、これからもあるだろうと思う。私の憶測に過ぎないが、この後の佐野元春のキャリアの軌跡を見る限り、この曲を聴いて私と同じような感情を持つリスナーも多いのだろうと思う。

 それは、この曲には、「孤独」と同時に「愛」が新たに生まれる瞬間への希求が歌われているからではないだろうか。多くの人が今でも様々な負の側面を覚悟しながら「街=CITY=都市」に集まってくる理由が、ここにあると思う。すなわち、人々の流動性、拡張性が限定された「町=TOWN」。そこでは見つけにくい「別の愛」を生む可能性が、「街=CITY=都市」では、今でも日々生きられていることを、現代人の誰もが知っている。だから、「毎日少しずつシニカル」になったり、「教えてもらう一つ一つのことが/いつのまにかすぐ役立たずに」なったりするのに、「君」はここを離れない。佐野元春は、そう歌っている。

 「別の愛」が生まれる可能性が強ければ、それは現実にはどんな場所でも構わない。つまり、「ストレート」な「愛」を告げることが「クレイジー」な夢をもたらしながらも、「別の愛」が生まれる可能性を否定しない場所ならどこでもいいのだ。その「愛」の相手は、「誰か」という可能性としての人格でしかないのだから。

 「誰か」が「誰か」としてそこにいること。そう思うから、人は「都市」に現れ、「都市」に暮らし、「都市」に夢みる。それこそ、「街=CITY=都市」の強靭な生命力である。「誰か」の幸せさえも「SHADOW」として「月明かり」に照らして見るもどかしさと優しさ。その両軸を揺れることで、人は「都市住民」としてあり得る。

 「マンハッタンブリッヂにたたずんで」は、「都市住民」としての両軸を揺れる心を歌ったものだ。気が遠くなるような匿名性の中でしか生きられず、しかしそれ故に限りない新しい「愛」を生んできた場所。この曲が夜中から明け方(「夜明け前にそんな夢を見てた君は」)にかけての時間帯を歌っているように、「街=CITY=都市」とは、常に個人を「夜明け前」の淋しさと期待感に置く場所なのだろう。

 そう考えた時、この曲の発表当時から40年経ったデジタル社会の現代、この「街=CITY=都市」は、三次元空間の地理的制約を越えて、どこに住む人々の心の中にも拡がっていることに、我々は気付く。デジタル空間の中の「夜明け前」の感覚、その期待感と淋しさに揺れるメランコリーを、今やどこに住む誰でも感じる時代なのだ。

 この時、佐野が彼の好むフォーク・ロック的サウンドをこの曲に与えたことが、重要な意味を持つ。それは、ロックのノスタルジー(※4)であると同時に、人々のノスタルジー、過去(故郷での時間)から離れて暮らす現在(現状)にあることを自覚する人々が抱えるメランコリーを掴み取るにふさわしい形質の音なのだ。私はかつて、佐野元春の音楽を、「故郷のない音楽」として論じたことがある(※5)。しかしそれが多くの人々に受け容れられたのは、「故郷を失った者」としての「都市生活」者のメランコリーを、人々が感じることが出来るからだろう(※6)。

 最後に付け加えたいことがある。長い間彼の才能に魅入られてきた私はついつい錯覚してしまうのだが、この曲をレコーディングした時点での佐野元春は、まだ「SOMEDAY」(1981年6月)の発表前、ほぼ無名の若い歌手に過ぎなかった。このことに、今さらながら私は驚く。

 伊藤銀次がその自伝で語っているように、それはアルバム『SOMEDAY』(1982年5月)用に作られた曲だったが、大瀧詠一が『NIAGRA TRIANGLE Vol.2』に収録するように促したという(※7)。伊藤は自身の師である大瀧の慧眼を言っているが、私はそれ以上に、これが『HEART BEAT』(1981年2月)を出したばかりの青年によって作られたことが信じられない。それは『SOMEDAY』以降に一目置かれるようになったカリスマのものではないのだ。この青年は一体どれほどの方向性の才能を併せ持つのだろう。一つ間違えば、ただ陰気なだけの歌になりかねない世界を、「都市住民」の血の通ったメランコリーに仕上げたこと。それは、彼を支えたやや年長の人々の手柄でもある。だが、十分な注目を浴びる前にも、真の才能は自らがそこにいることを主張するということを、身をもって示した実例であると思う。

 今の世の中にも、そんな才能が埋もれかけているのかもしれない。そう思うと、私はどんな夜にでも、少し励まされる。まだ、私が出会うべき「誰か」が、「月明かり」の下で待っていてくれるのかもしれないと、思うからだ。


※1 率直に言うと、4曲目の「週末の恋人たち」は、佐野元春のキャリアの中に置くと興味深い点はあるが、特に強く心惹かれはしない。他の三曲が私にとってあまりにも大きな存在なので、そう感じるのかもしれないが

※2 「このごろ」というのは、三、四年ほど前から、このブログを中心に、佐野元春とは、どんな存在なのか。そして彼は、私自身にとってどのような存在なのか、ということを、他の方に読んでいただける形で文章にし、発表するようになった日々を指す。そうすることで、様々なご意見も頂戴しながらいろいろと考え、今まで意識していなかったことについても、触れたいという気持ちがどんどん湧いてきている「このごろ」である。

※3 私のアメーバブログ(「Jビート エッセイ987」)掲載の「佐野元春論~~大乗ロックンロールの言葉と自由~~」で、私は佐野のこのような大乗的感性と倫理の相克を論じている。ぜひ参照されたい。

※4 激しくスピーディーなロックンロールで日本語ロックの地殻を変動させたイメージが強い佐野元春であるが、アコースティック・ギターのストローク音が大きく聴こえるようなフォーク・ロック的なサウンドも好むようだ。例えば、「ガラスのジェネレーション」をバーズ風のフォーク・ロックにしたかった(結局、シングル盤は、伊藤銀次の助言を入れて、あのニック・ロウ「恋する二人」に寄せたアレンジにした)というエピソードが、それを示す(※8)。この音こそ、佐野自身にとってのノスタルジアではないか。

※5 ※3に同じく「Jビート エッセイ987」掲載の「佐野元春論~~大乗ロックンロールの言葉と自由」の主に第二章と第三章を参照されたい。

※6 「故郷を失った者」という表現を見て、日本文学史に言う「日本浪漫派」との血縁性を感じられる方もいるかもしれない。メランコリックで「鬱」的な部分を持つ佐野にあっては、そのような感性が感じられないこともない。しかし、日本文化の優位性を焦点化した「日本浪漫派」と違い、佐野は、外国由来の「ロックンロール」を作り続け、「インディビジュアリスト」を標榜する。彼は「日本」や「東京」に敬意を払うが、その優位のみを言い募るつもりはないのである。

※7 『伊藤銀次自伝 MY LIFE, POP LIFE』(シンコー・ミュージック・エンターテイメント刊。143頁―144頁)より。

※8 後のベスト盤『ベリー・ベスト・オブ・佐野元春 ソウルボーイへの伝言』(2010年9月)に収録のアレンジは、シングル盤とは違うものになっている。これは、当初の佐野のイメージに合う形を実現したものではないかと思う。

© 2021, Copyright M's Factory Music Publishers, Inc. , DaisyMusic, Sony Music Entertainment, Inc. All rights reserved.
Back to MWS