ファンからの寄稿文
「40周年に思う、佐野元春のこと」

言霊のゆくえ

『隣人のゆくえ』監督・柴口勲

 知る限りで。佐野元春のインタビューで最も生々しく感じたのは「なぜ、なぜ僕は…なぜいつも僕は盗まれる側でなければいけないんだろう」だ。

 直後に「でもポップソングの作り手だから盗まれる側で当然」と自身で返しているが、器の小っさなオレは佐野元春が盗まれるのを目撃しては「また盗まれてるゾ」と舌打ちを繰り返している。いまだにね。

 「本当の真実がつかめるまで Carry on ♬ 」というように歌のワンフレーズの前半を日本語で後半を英語で組み立てる作風は、佐野元春がデビューして築いたものだ。当時のライターが猫も杓子もマネるうちに和風英語的この組み立ては瞬く間にJ-POPの主流となり、いまだ轟々と流れ続けている。

 知る限りで。佐野元春は上記のフレーズの組み方をアルバム『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』で一旦捨てた。市民権を得たもののミュージシャンらの乱用で地に落ちた姿にウンザリしたのか?本作でのフレーズは日本語で組み立てられ、ほぼ完全な日本語によるロックを鳴らしてみせた。今でこそ日本語のみ用いて洋楽風に歌ってみせるミュージシャンはいるが、それだってロックという立ち位置に限れば佐野元春が真っ先に到達した頂きなのだ。

 音楽のジャンルも。佐野元春が持ち込んだ(または切り拓いた)んだけどな、と思うものをオレは3つ4つ知っている。

 ビジュアル系の特徴的なあの巻き舌風な歌い回しはBOØWYが始めたのか?違うね、佐野元春が『BACK TO THE STREET』で切り拓いたのだ。

 ヒップホップはスチャダラパーが、ラップはいとうせいこうが始めた?違うね、佐野元春が『VISITORS』で持ち込んだのだ。

 ロック的スポークンワーズはamazarashiが始めた?違うね、佐野元春が『ELECTRIC GARDEN』で完成させている。たとえば「オーマイゴッド」なんて本作で口にされてから音楽シーンで使われ出したはずだ。

 盗まれたものは決して小さくはないのだ。

 エコーズは、尾崎豊は、BLANKEY JET CITYは 、スピッツは、Mr.Childrenは、STRAIGHTENERは、BUMP OF CHICKENは、チャトモンチーは、RADWIMPSは、Official髭男dismは、佐野元春が開拓した世界を知らないまま「詩を音楽に降霊させる」魔法を手に入れただろうか?

 どうしてもオレにはそうは思えないのだ。

 さてと。関係者もファンも他も黙したままだからペンを取ったが、オレは盲目的に佐野元春を崇拝してはいない。救ってくれたハッピーマンであることに間違いはないが、跪いて両手を合わしたりはしない。

 あぁ『Heart Beat』は最高のアルバムだった。『SOMEDAY』はそれ以上だった。『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』はそれ以上だった。そして『COYOTE』はそれ以上だった。が、以降オレは「それ以上」を聴いていない。だからコヨーテ人間のまま海辺をウロついている。「それ以上」が齎されるそのときまで。朝が来るまで。

 腕力に頭を押さえつけられウィルスに足首を掴まれたマスクワールドで佐野元春がポケットに入れた飛行石を見てみたい。

 40周年に思う、佐野元春のこと。

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