ファンからの寄稿文
「40周年に思う、佐野元春のこと」

アルバムとともに振り返る佐野元春と僕のヒストリー・・・というほど大げさでもない

Makoto Sakaguchi

 いつしか僕は佐野元春のマネをするようになった。30年近くになるのかな。思い起こせば、20代前半だった。多分。実質的なファーストコンタクトはアルバム『VISITORS』でリリースは1984年。僕は68年生まれだから16歳の時。マジックナンバーのスウィート16、だ。(出会いにいたってはもう少しだけ遡る。)

 20代前半というとアルバムでは89年の『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』から、ということになる。のちにドラマの主題歌としてシングルヒットした「約束の橋」が収録されている。簡単な引き算でこの時21歳。この頃じゃないな。そんな気がする。じゃあいつ頃だろう? おっと、そんなこと検証してどうする?どうなる? だから、いつしか、だ(笑)。

 23歳のゴールデンウィーク。福岡で友人と合流しての大阪までの高速道路。車中では『TIME OUT!』(90年)アルバム流して。カーステ、まだCDチェンジャー実装してなくてカセットテープ。時代だね。横通ったトラックが跳ね上げた小石でフロントガラスに小さな傷付いたり、疲れたけど、あれはあれで楽しかったな。しかし、現在(いま)になって思えば何しに行ったんだろう?まったく覚えてない。とはいえ、この頃はまだ現在のような”ズブズブの”関係じゃなかった(笑)。実際、『TIME OUT!』はリリースから少し経ってから購入。

 そして92年。その年の日本レコード大賞優秀アルバム賞を受賞した大傑作アルバム『Sweet16』。もっとも佐野元春本人はその受賞自体3年くらい知らなかったらしい。佐野さんらしい逸話というか(笑)。

 この『TIME OUT!』から『Sweet16』まで約2年半くらい開くんだけど、その間に思いが発酵したというか熟成されたというか。実際、92年、体調崩してちょっと長めに入院したりして、結構音楽が心のよりどころ感があったのかな。アルバム自体は入院の前に手にしてたから、病室にポータブルCDプレーヤー持ち込んでかなり聴き込んだ覚えがある。

 その年の12月。”See Far Miles PartⅡ”トゥワー熊本公演。退院間近だったとはいえまだ入院中。外出許可を得て出かけた。佐野先輩(通常営業)のライヴ自体約5年ぶりで、当時はそんな自覚はなかったと思うけど、この時おそらく覚醒した。多分。いや、きっとそうだ。そういうことにしよう。

 とはいえ、またしばらくはつかず離れずで。この距離感は、今日(こんにち)もまったく変わっていない。気持ちは分かる。分かるよ。でも疲れんじゃん。常に最新情報探して追っかけてって。

 今夜も探すのは愛だけにしとくよ(笑)。アルバム自体は常にリアタイでさ。

 のちに自分のテーマ曲といい、今はまったく行かなくなったカラオケで当時よく歌っていた「ヤングフォーエヴァー」が収録されているアルバム『THE BARN』(97年)までが20代。しかし、まったく受けなかったな、当時。カラオケで。ちょっと気になったんで97年の国内ヒット曲を調べてみた。曲名はアレとして、GLAYに西川くん(TM Revolution)に、globeなど、か。TKサウンドがメインストリームの頃だ。ああ、なるほど。(なるほど、じゃ、ねーよ)

 しばらくは熊本でのライヴがなかったこともあり、時折福岡とか行ってたけど、ライヴからはやや遠ざかる。アルバムはリアタイで。ここ大事。(試験にはでない)

 2005年、新しいアルバムのために佐野先輩はそれまでのバンド(ホーボー・キング・バンド)ではなく、自分よりも一回り下の世代のミュージシャンを集める。のちに、コヨーテ・バンドと名乗るメンツである。その年の暮れ。これが僕(たち)の新しい音ですってお披露目して、さらに1年半後の2007年6月、アルバム『COYOTE』発表。

 この時の佐野先輩のステイトメントは、「再び、僕の音楽をメインストリームに置く」だった。この年のメインストリームの音楽は・・・。やめとこ。意味ないや、自分には。2005年は僕個人としても、生活様式が次のフェイズに変わった年で、だから余計にコヨーテ・バンドに思い入れがあるのかな?と最近思う。

 そして待望のトゥワーがスタート。この時の熊本公演を告げるTVスポットのコピーが「2008年、佐野元春始動。」だった。僕自身の佐野先輩のライヴは3年ぶりくらいだけど、熊本公演自体は約10年ぶり。そりゃ楽しみでしかないし、「ずっと熊本で演奏したかったけど、事情があって、できなかった」(ライヴ時MC。要約。大人の事情ってやつね)と語ってたように本人も楽しみだったはずに違いない。

 しかし! 蓋を開ければ、バンドはホーボー・キング・バンド。え?違うの?コヨーテ・バンドじゃないんだ・・・。ああ、そうかぁ。このバンドが嫌なわけじゃない。ないけれど。

けれど!
けれど!
けれど!

 いやあ、でも、ライヴ自体は良かった。素晴らしかった。特にオープニングのあの演出。うゎーちょっと。長くなりそうだな。でももう少しお付き合いを。

 いよいよ待望のコヨーテ・バンドのライヴを観たのは翌2009年夏の福岡。佐野元春をライヴハウスで観ること自体初。佐野先輩がライヴハウスで演ってた頃って、中学生とか高校生くらいだからルイードとか行けるわけないじゃん。それから丸2年。30周年アニヴァーサリーファイナルでついに東京でのライヴに参加。10代最後の大阪在住時、現地ライヴに行ったのは除外されるので、初めて、いわゆる遠征ってやつ。確か、当時、東京制圧に行く!って言ってた(笑)。このことは僕にとっては凄くエポックメイキングなことだった。

 「音楽があったおかげで、こんなにも見える世界が広がった」。

 これは当時の佐野先輩の言葉の引用だが、まさしく! 40代。人生において、佐野元春ファンとして、もっとも脂の乗った、ということかな。

 そしてその時から、いよいよ”ズブズブの関係”に(笑)。映画『シン・ゴジラ』(2016年)に準えるならいよいよ”最終形態”へと進化したというか。獣神ライガーでいうと、ライガーからファイヤー・ライガーを経ていよいよサンダー・ライガーへと進化したみたいな。(ここの喩え、丸々要るか?)

 現在(2020年)まで、コヨーテ・バンド名義で4タイトルのアルバムを発表。どれも皆素晴らしいのだが、僕のレコメンドアルバムとしては2015年発表の『BLOOD MOON』を推したい。なにが素晴らしいかって、急に言われても・・・梅沢富美男さんか!(笑。Fea.プレバト)

 まず、アルバムアートワーク。これ、予備知識なくてもジャケ買いもんですよ。さすがヒプノシス(イギリスのデザイン・アートチーム)。あとはまあ、聴けばわかる。とにかく聴け!!いいから聴け!!!いや、ほんと。ちなみに、ブラッドムーンとは10月の満月のことを指すらしい。矢継ぎ早に言葉を詰め込んだ感のある初期にくらべ最近は言葉少なめ、だけど、無駄がない。力みがないというか。それは積み重ねてきたキャリアがなせるものだろう。

 近年。ますます佐野元春はアグレッシヴだ。そして、円熟味を帯びているのにさらに瑞々しい。昔の名前で出ています感がなくて、常に最新作品で挑んでゆくという姿勢に共感する。過去の偉業は捨てて・・・、捨てなくても、それにすがるようなことないように、僕自身もその姿勢を継承したい。

 2020年佐野元春レコードデヴュー40周年おめでとうございます。

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