ファンからの寄稿文
「40周年に思う、佐野元春のこと」

佐野元春のもう一面・「バッド・ガール」

藤谷蓮次郎

 一人のアーティストが世間に認知されるには、まず何よりイメージの定着が求められる。大衆はイメージを消費する。それを覚悟しなければ、大衆消費社会の中でのクリエイティブな活動は成り立たない。しかし、長期に渡って活動しているアーティストたちの多くは、自らが認められたイメージに安息することを好まない者も多い。

 ロックに関してもそうだ。ボブ・ディラン。ルー・リード。ニール・ヤング。ポール・ウェラー…(※1)。彼らは自らの轍を常に裏切り、新しいキャリアへと移動し続けたアーティストたちだ。

 このような活動を続ける日本のロック・アーティストは? ── 私は、佐野元春を筆頭に挙げたい。彼が周囲の期待を裏切るように新しいステップを続けるのは、誰もが知るところだ。だが、その絶え間ない変化の最初の現れを、どこに見るか? 多くの人は、『SOMEDAY』から『VISITORS』の飛躍と考えるだろう。

 だが私は、デビューアルバム『Back to the Street』の中のある可能性が消えたことに、それを見る。


 すでに別のエッセイで述べたところだが、佐野元春のデビューアルバムとセカンド・アルバムでは、「普通の失恋ソング」の可能性が試されていた。それは多く、大村雅朗のアレンジだった。しかし、多くの人々が見つけた佐野元春は、伊藤銀次アレンジの、スピーディーで耳新しいロックンロールの佐野元春だった。伊藤銀次と佐野元春のコンビがライブの中心として認知されていったこともあって、「アンジェリーナ」のアレンジャーだった大村雅朗的な曲想は、生まれかけのまま、すぐに後景化してしまった。

 だが、佐野元春が初期に描き出したハートブレイクソングは、それ自体、強い魅力を持っている。


「さよならは いつしたの?」
誰かがたずねる
わからない 答えられない
新しい愛も さがしてみた
あてもない気持ちのままに
(「バッド・ガール」)

 『SOMEDAY』以降は、常に二人の人間の関係性を超える抽象性を帯びた「愛」という言葉。しかし「バッド・ガール」では、「君」へ向けた「愛」の喪失を明確に輪郭化する。この時の佐野の声は、群れを外れた野犬の不安げな遠吠えのようで、安定した音程で深く歌いあげることができないという彼の欠点を、結果的に活かすことになっている。

 彼の不安定さに満たされたハートブレイクソングは、二枚目のアルバムに収められた「彼女」で極北に達する。それは今でも、佐野元春を代表する一曲であることは確かであり、彼はこの時点では、その方向に進むことも十分可能だったと思われる(※2)。こういったバラードが制作側の期待するだけのファンの支持を集めれていれば。

 いずれにせよ、彼の初期のハートブレイクソングは、よい。とてもよい。

 特に、二人が別れてゆく理由が全く分からないままなのが、私はとても好きだ。都会の、誇り高い二人の恋愛を感じる。

 「わからない 答えられない」としか、言い得ない失恋体験が、確かにここにある。


 初期の佐野元春に関するレポート『路上のイノセンス』で、すでに故人となった下村誠は、佐野の尊敬するジャック・ケルアックの『地下街の人びと』。そのカップルの破綻に重ねて、この当時の佐野のハートブレイク・ソングを取り上げている。

『地下街の人びと』の二人がそうであるように、お互いがそれぞれの人生を意識した時に、自然と選ばざるをえない別れがある。

 ただ、私は今でも、「新しい愛も さがしてみた/あてもない気持ちのままに」という彼の声を聴くと、泣きたくなってしまう。


※1 私のブログ(アメーバ・ブログ「Jビート・エッセイ 987 ~~藤谷蓮次郎のブログ~~」)に掲載の「佐野元春論・大乗ロックンロールの言葉と自由」の「Ⅰ 約束のリリック」を参照されたい。

※2 ※1と同じエッセイの「Ⅱ 歴史と例外」を参照されたい。」

藤谷蓮次郎   2021年5月13日
私のブログ(上記※1)に掲載した文章です。

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